韓国文化(韓流)の正体

模倣者としての韓国
最近、偶然お年寄りの方々と「 韓国文化 」について意見交換をする機会がありました。そうした会話では大体以下のような流れが展開されます。

「韓国は創造性に乏しく、その主な文化的土台は他の文化からの派生的な借用である。K-POPはJ-POPのパクリであり、何一つオリジナルではない」

大学生の頃にアルバイトをしていた都内の家電量販店でも、「韓国製品はコピーばかり」「韓国は10年遅れた日本」などとご高齢のお客様に言われ、面食らった経験があります。このような言説は韓国に対する、特にご高齢の批評家の間では支配的なものです。私が驚いたのは、誰もが「文化」という複雑な主題を語りながら、オリジナリティや創造性といった固有の性質について臆面もなく民族主義的(そしてしばしば人種差別的)な文化的前提を主張していることでした(それはまるで「アメリカや日本の大衆文化、芸術、文学、社会思想は創造的でオリジナルであるが、韓国はそうではない」とでも言いたげに)。

韓国文化の背後に潜む「もの」
ということで今回は、こうした主張に反論する形で「韓国文化」として知られる一連の現象の背後に潜む固有の概念について取り上げてみたいと思います。それは単なる音楽や服の話ではなく、韓国文化に共通する事象、センス、アイデアを指します。

最近、若者が韓国のものがいかに「カッコいい」「かわいい」「都会的」「お洒落」であるか、あるいは韓国そのものがいかに「イケてる」かということを熱心に話している事実を考えると、彼らが考える「韓国」が何かを探るのは今回の答えを探る上で有効かもしれません。なぜなら、それは「もの」だからです。定義することも、指摘することも、明確にすることも難しいですが、それは実際にそこにある「もの」です。何万人もの留学生と何百万人もの観光客が韓国を訪れるのは、その「もの」があるからです。では、それは一体何なのでしょうか?何が韓国をクールにしているのでしょうか?この疑問はある民族誌的なインタビューや写真の被写体が、本当にその集団を代表しているのか、あるいは社会で実際に起こっていることなのか、という本質的な問題を含んでいます。そしてこれらは、韓国文化という問題以前に、そもそも韓国人とは何かという問題にも通じます。同様に「K-POP」という略称についても、そもそもそれは一体何なのかという疑問があります。ただし、これについては典型的な「K-POP」のMVを見れば、ある程度輪郭が見えてきます。

2017年にBTSが発表したこの『DNA』は、100人に聞いたらそのほぼ全員が「この曲は韓国的だ」と言うでしょう。では、このMVのどこが韓国的なのでしょうか。この問題を明確にするために、一度V-POP(ベトナムのポップミュージックの総称)とK-POPの、THIA-POPとK-POPの比較動画を見てみることにしましょう。

大前提として、そもそもこのような比較動画が存在すること自体が、韓国的文化の存在性を物語っています。そこで、この修辞的な主張を止めるために、つまり比喩的な表現を捨てて本題に入るために、ここで「韓国文化」の定義を一つ提示することにします。

韓国っぽさの招待
韓国文化の顕著な特徴は、様々な文化的要素を折衷的に混ぜ合わせ、新たな融合、新たな合成を行う姿勢です。学術的なことは抜きにして、韓国文化の世界的成功の秘訣を理解するのに最も有効なのは、現代の韓国文化の本質が出身地、思想、伝統、さらには文化に至るまで、極めてハイブリッドであるという点を考えることです。上記で初回したBTSの『DNA』も然り、韓国文化の最大の特徴はその出自もテクスト的に不純であり、簡単に言えば韓国らしからぬものであるという点です。

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韓国映画や韓国ファッションに関しても同様のことが考えられ、さらにポストコロニアル(ポスト植民地主義)というレンズを通してそのハイブリッド性、テキストの不純物、ソーシャルメディアの実行可能性を解析してみると、韓国がいかに文化的・発展的な混合状態の中で生きてきたかを理解出来るでしょう。

簡単に言えば韓国の人々は、明らかに不釣り合いな外国の文化が、自国の文化と融合する事象に非常に慣れています。そして、その文化的融合に対する姿勢はほとんどの場合、肯定的な感情、肯定的な意味合いの元進められます。というのも韓国の近代化が始まって以来、韓国における進歩、啓蒙、近代という概念そのものが主に日本の、外来の概念だったことを忘れてはいけません。その結果、外国の文化は、日本の植民地時代の是非はさておき、一般的に良いものと理解されてきました。

また、韓国は1950年代の朝鮮戦争の末、実質的にアメリカとその文化の支配下に置かれることになります。アメリカのテクノロジー、建築、ファッション、音楽、美学、思想、そして言語に至るまで、アメリカのものは明らかに優れているわけではなくとも、少なくとも良いものであると理解されてきました(一方、アメリカ人は一般的に少なくとも大衆文化や美的関心の領域では、外国文化との健全な関係に慣れていません。これらはアメリカ人が字幕付きの映画を見たり、理解できない言語のポップミュージックを聴くことを好まないことからも窺えます)

理由や具体例が何であれ、韓国に対して大きな影響力を行使してきた大国に対する韓国の一般的な態度は歴史的に、特に他の大国が啓蒙、進歩、近代といった理念を持ち、その影響力を通じてある種の他者に対する敬意の念を抱いてきました。だからこそ、非常にポストコロニアルであり、ある意味で多文化な韓国文化は、”韓国的”な新しいものをたくさん生み出しているのです。

ハイブリディティ、テキストの不純物、新しいメディアの社会性(すべてポストコロニアルな視点を通して焦点を当てたもの)が、「カンナムスタイル」や「BTS」、「BLACKPINK」、「イカゲーム」、「パラサイト」を生み出したのです。それらはパクリという狭い概念にとどまらず、再創造とさえ言えるでしょう。

”K”とは何か
そして、これこそが、「韓国的なものは韓国的である」というキメラ的な問いに対する答えとなります。K-POPの “K “はどこから来たのか?K-POPからK-cinemaまで、Kに接頭辞をつけた文化的領域のどこが「K」なのでしょうか。一般的に、韓国文化とはミックスそのものです。ではコピー、リミックス、そして完全な盗用もそのプロセスの一部と言えるでしょうか?もちろんです。

韓国文化は歴史的にコピーし、学び、再現し、オリジナルに改良を加え、新しいものを生み出してきました。例えばキムチは、グローバル化の中でも最も文化的にハイブリッドで、韓国的なリミックス製品の一つと言えるでしょう。実際、中国から入ってきたペチュとマヤ人が発明した唐辛子は、いずれも今日のキムチのレシピの元になっています。

今後もし、「韓国人は独創性も創造性もないパクリ野郎だ」という陳腐で歴史に疎い批判を耳にしたら、今日紹介した韓国の強力な成功の方程式を思い出して下さい。ヒュンダイがアメリカの自動車エンジンをリバースエンジニアリングし、韓国の芸能事務所が日本の専属契約システムとアメリカの音楽制作モデルを応用してK-POPOを生み出している事実を。

韓国独自のポストコロニアルな感性を通して焦点を当てた韓国文化のハイブリッド性、テキスト的不純物、そして極度に媒介された社会性はすべて、韓国文化の近年の飛躍的成功のからくりを説明しています。特に、韓国は近代化を乗り越え、ポストモダンを超えて、ハイパーモダンへのワープに成功しています。もし韓国が模倣しか知らないのであれば、昨今の世界的還流ブームは起こっていたでしょうか。もちろん、その答えは明白でしょう。

韓国文化についてもっと詳しく知りたい方は、是非以下の記事も参照してください。

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